MESSAGE

 高瀬瑞恵
私は4歳よりピアノを始め喜んで練習に励んでいましたが、3歳下の妹もピアノを始めたことからピアノは競争の道具と変わっていきました。
妹はあまり練習もせずコンクールに入賞し、私は努力をしても本番に弱く失敗ばかりでした。
そんな私に妹は、ピアノは自分がやりたくてはじめたわけじゃないからと言った事がありました。
私は姉としてのプライドを傷つけられ、なぜこんな妹がいるんだと憎みましたし、そんな妹に期待する両親と先生に絶望しながらも、その期待を自分にも向けてもらうため必死で練習したのです。
私は15歳のときに父が病気で亡くなり生活が一変しました。希望していた大学をあきらめ地元の音楽大学に通いながら、アルバイトでお金を貯め留学しました。その留学先であるウイーンで主人と出会い結婚するため帰国しました。
大きなバイオリン教室を繰り広げていた舅の仕事を二人で手伝うため同居いたしましたが、新婚生活は悲惨でした。
生徒達の伴奏をすると、多くの人たちの前で、舅にけなされ続けました。
家では姑に辛く当たられ、生活の全てを管理されピアノの練習もさせてもらえませんでした。そんな様子を見ても主人は逃げるだけだったのです。私には居場所が無く自分の存在価値も見失い、よく生きていたものだといまでも思います。同居が一年半続いた後、別居することになり、練習も出来る環境になりましたが、当時の私はピアノに向かうことさえ出来ないほど傷ついていました。
娘を2人与えられ育児に忙しいという事を理由にし、ピアノを弾きませんでした。そんな私に嫌気が差したのか主人は自分の栄光を追い求め、家に寄り付かなくなっていきました。
見放された私は、新興宗教に救いを求め通いはじめました。
そんな日々がしばらく続いた後、突然主人が心を病み、仕事を失い借金をつくって帰って来ました。挙句の果てに主人に裏切られたと思い込んだ生徒のご父兄からの嫌がらせが長く続きました。
電話の音に震え外にも出られない状態でした。主人の病を治したい一心でカウンセリングに通わせましたが、まったくよくならず、神様にしか治せないのではないかと考えるようになりました。
ですが、私達は私を苛め抜いた主人の両親がクリスチャンだったのでキリスト教とクリスチャンは大嫌いだったのです。
意を決して主人を教会へ誘い通い始めて3ヵ月後のクリスマスに2人同時に受洗したのです。
それでも主人の状態はよくならず生活も不安定なままで精神的に追い込まれた主人は私の目の前で包丁を持ち出し自殺を図ろうとしたのです。
そのときの私は不思議なほど穏やかでした。そして主人の姿は私の姿なんだと気づきました。
主人だけでなく舅、姑の姿も私の姿だったのです。若いときから自分にも他人にも厳しい私でしたので、主人が辛い思いをしたときも配慮に欠けていたことを謝りました。
聖書のマタイの福音書11章28節「すべて重荷を負うて苦労している者は、わたしのもとにきなさい。あなたがたを休ませてあげよう。」
という言葉が私の心に深く響いてきました。聖書を読むことも出来ない日々の中で読んだこともない聖書の箇所が心に届けられたのです。
子供のときからずっと競争をし、がむしゃらに頑張ってきた私が休ませてもらえる場所があるのだと知りました。
自分を憂い人をねたみ人を恨むことを土台にしか生きられなかった私でしたが神様は憎しみに支配されていた私を解放し、救いに導いてくださったのです。
なんとも言い表せない心の安らぎを得ました。

イエス・キリストはいつでもどんなときでも私と共にいてくださり、すべてをご存知で最善へと導いてくださる方です。
その上人を恨んで自分の存在さえも否定していた醜い私を愛してくださり私の罪の身代わりとして十字架上で死んでくださり、私の罪を許してくださいました。
「罪は許された」と真実な神はその「罪を」忘れてくださいますが、人は色々思い出し、許すことの出来ない弱さを持っています。
イエス・キリストはその弱さをも知った上で執り成しこのように祈られました。ルカ23章34節「父よ、彼らをおゆるしください。彼らは何をしているのか、わからずにいるのです」。ということに主人、舅、姑、そして誰よりその様なものは必要ありませんとかたくなに拒絶していた私のための十字架であったのです。ですから今も生きて働いてくださっているイエス・キリストとうお方と歩ませていただきたいと心から願いました。

今では舅、姑ともとても仲がよいです。そしてなににもまして主人と2人で主を賛美できることは喜びです。
皆さんもいろいろな問題を抱え歩まれていることと存じますが神様はいつもお一人お一人を愛され心の扉をノックされています。
ですがその扉を開けるのはそれぞれご自身にしかできないのです。皆さんが全てを委ねイエス様とともに歩まれることを心より願っています。